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zoom RSS フィルムセンターとシャブロルの思い出

<<   作成日時 : 2006/07/17 05:41   >>

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もうひと月も経ってしまったが、クロード・シャブロルの『虎は新鮮な肉を好む』をフィルムセンターで観た。
ここでシャブロルの映画を「観た」のは初めてだが、「観に行く」のは2度目になる。一度目の時は観ることができなかった。理由は満員で入れなかったからでも、上映時間に間に合わなかったからでもない。受付で入場料金を払い、館内に入り、座席に着いた。でも観れなかった。
なぜなら、昼に食べた鳥の唐揚げにあたり、開映直前に場内で豪快に嘔吐、周囲の非難を浴び逃げるように劇場を後にしたから。

ウソです。

本当はフィルムセンターが火事になったから。
テレビのニュースや新聞報道でも取り上げられたから憶えている方も多いと思うけど、あの場に居合わせてたのである。
当時の上映ホールは建物の上のほうにあり(確か4階か5階だったような気がする)、そこで火災報知器が鳴り、係員から避難の指示が出たのだから、かなり慌ててもよさそうなものだが、火も煙もまったく見えなかったこともあって、私も含めて観客の多くは、そんな大事だとも思わず、小学校の避難訓練並みに緊張感がなかった。客の中には戻ったときのことを考え、新聞紙で座席をキープしてた人もいたくらいだったし。
表に出てからは、道路の向かい側の歩道からしばらく様子を見ていたが、「映画見せないなら代わりにド派手な火事見せろ」というこちらの鬼畜な期待も虚しく、消防車こそかなりの台数がきたものの、煙ばかりで炎はまるで見えず、燃えてるのがフィルムセンターじゃなかったら、ローカルニュースにしかならないようなショボイ火事だった。
鎮火も間近と思われた頃にそろそろ引き上げようか思っていたら、背後から中年男性に声をかけられた。
「火災が発生したばかりの時から見てたんですか?」
「まあ、そんな感じです。中にいましたから」と答えると、詳しい話しを聞かせて欲しいと言われ名詞を渡された。
共同通信の記者だった。
翌日の地方紙に名前入りで談話が載った。

この年(ずっと85年だと思ってたが、今調べたら84年だった)は火事に縁のある年だった。
当時住んでいたアパートの小道をはさんだ隣家でボヤがあったのがこの直後。
さらにこの後、学校帰りだったか雀荘帰りだったかに三軒茶屋の駅に向うと、火事が起こった形跡もないのに、国道246号線に消防車が何台も並んでいた。気になったが何が起こったか確かめることなくその場を後にした。帰宅してテレビを点けると、ニュースでフィルムセンター火災とは比べものにならないほど大々的に報じていた。世田谷区のケーブル火災である。これも憶えている方が多いと思う。住んでいたアパートは駒沢だったので、1ヶ月ほど電話が不通だった。火災後しばらくは、路上のところどころに、当時の電電公社が用意した電話つきの自動車が置かれていた。もちろん使用料はタダ。

言い忘れていたが、火災のために上映中止になったシャブロル作品は『いとこ同士』だった。
私はいまだに『いとこ同士』を観ていない。

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